いまでも映画、テレビのオープンセットとして利用されている東映太秦映画村の大オーブセット。ドラマだけに限らずCM、PV、スチール等々時代劇の撮影に関するあらゆること、またそれに付随する美術・装飾・衣装・カツラや照明、録音、特効機材、ならびにスタッフ、出演俳優の手配などを行っております。
江戸時代の武家屋敷の門の形の一つです。門の両脇続きの建物の中が部屋になっており、家来の長屋住まいとしていたので長屋門と呼ばれています。現状は新選組の屯所に飾られています。他に撮影でよく使われるのは「遠山の金さん」の北町奉行所、ナマコ塀を付け「大岡越前」の南町奉行所、また「忠臣蔵」では屋根に雪を載せ、吉良邸・裏門として定番です。
運河の小さなもので二つの小橋と脇の柳の葉の緑が水面に映り江戸下町の情緒を醸し出しています。撮影では、傘をさし道行く芸者や、恋人が語り合いながら歩くシーンなど情緒的な場面がよく撮られます。
江戸は当時ロンドンを凌ぐ100万都市として、運河が発達し、海運業者が栄え、大店の倉庫も運河沿いに多く建っていました。その一角の河岸を再現したものです。現状は廻船問屋として飾られていますが、撮影では、船宿になったり、桟橋を張り出し水天宮にしたり、あるいは橋の一部を再現し大川、またあるいは船の一部を作り海原ともなります。
江戸時代の1624年に創設された歌舞伎劇場で江戸三座の一つ、中村座です。歌舞伎という演劇を常に上演し長く江戸庶民の人気を博しました。明治時代の1893年に焼失し廃座となりました。300年以上前の江戸時代に人気のあった歌舞伎の劇場・中村座を再現したものです。時代劇ショーやサイン会・握手会などのイベント会場として利用。また映画「大奥」など、実際の撮影にも使われてます。
幕末、京都三条の旅館で尊王攘夷派志士が謀議中、新選組に襲撃された池田屋事件の舞台となりました。映画「蒲田行進曲」でもありましたが、幕末時代劇の「池田屋階段落ち」は名場面です。
江戸の町の自衛消防組織として町奉行大岡忠相は江戸の町火消をいろは四十七組に組織しました。その火消しの一つがめ組です。テレビ時代劇「暴れん坊将軍」のめ組の辰五郎の家を模して飾られています。
江戸時代、商業が大きく発展し、その多くは江戸の中心地に大きな店舗つまり大店をかまえました。三井住友銀行や大丸百貨店などは当時の創業です。現状は材木問屋、蝋燭問屋、薬種問屋などに飾ってあります。ここも時代劇ではお馴染みの風景です。夜の撮影では障子戸を大戸か板戸に替え、盗賊が屋根づたいに忍び込むシーンなどを撮ります。
麻・綿などの太物ではない絹織物を扱う店です。多くの店が京都に本店を置き江戸店を出してました。絹織物は主に上流階級を顧客にしていましたので特権的な大商人に限られていました。
材木商も江戸では特権的大商人でした。火事と喧嘩は江戸の華といわれたように、江戸は火事の多い街で、人々は火事を前提に生活していました。火事による復興景気は材木商を筆頭に建築関係の職人にも多くの仕事をもたらしました。
色々な薬草から効能を見つけ調合して薬として売ります。
江戸時代の照明は灯油に芯を垂らす行灯と蝋燭を使う燭台と提灯が基本でした。ただ菜種油から作る灯油は高価であり、さらに漆や櫨の樹液あから作る蝋燭はさらに高価でした。高価な商品を扱う蝋燭屋も特権的な大商人でした。
江戸の交番です。今の警官にあたる同心がたまに立ち寄りましたが、常は町内で雇われた事務員が詰めていました。
下町の飲み屋街で、小料理屋や飯屋、矢場などに飾ってあります。撮影では遊女が客引きする場末の岡場所の設定などで使います。
施設内で一番長く広い江戸の通りです。両脇には茶屋、米穀問屋、油屋、酒問屋、旅館、両替屋、刀剣屋、茶問屋、印判屋、小間物問屋、傘提灯屋、居酒屋等の暖簾が掛かり江戸の大通りの雰囲気を出しています。時代劇ドラマでは必ずと言っていいほどよく撮影に使う場所です。撮影の時は町娘、手代、大工、天秤行商、魚屋等のエキストラが往来します。「忠臣蔵」では屋根や道に雪を置き、赤穂浪士の引上げの場面にもなります。
火の見櫓は火事の折、人が上まで登り半鐘を打ち鳴らして町の人々に火事を知らせました。撮影で半鐘を鳴らすシーンを撮る時は、高所で危険なのでスタントに慣れた俳優が登ります。
現代風に言うならば、江戸の喫茶店です。店先の床机に腰掛け、お茶や団子を頂きます。
江戸時代、庶民の楽しみは仕事が終わってから行く風呂屋。庶民の社交場でした。
日本橋は大江戸の中心地であり、五街道の起点でした。この橋の付近は江戸問屋商業の中心地ともなり、また橋の袂には高札場が置かれ、幕府のお触れが掲示されました。時代劇の撮影では日本橋として撮ることもありますが、ドラマによっては色々な橋に模様替えします。例えば「忠臣蔵」では雪の両国橋として使います。撮影用なので橋下に川は流れてなく、また橋の奥は階段です。
江戸時代の地方の田舎の宿場町です。米をつく水車小屋や駕籠屋やが田舎の雰囲気を出しています。ドラマの撮影では股旅ものや、「水戸黄門」「子連れ狼」などの地方を旅する時代劇の撮影によく使われます。
江戸時代の百姓屋が再現されています。室内には囲炉裏や竈があります。
江戸時代、各地方の街道筋に旅館が寄り集まった旅籠筋が形成されていました。それを再現したものです。ドラマの撮影では股旅ものや、「水戸黄門」「子連れ狼」などの地方を旅する時代劇の撮影によく使われます。
江戸時代公認の遊郭地。二千から三千人の遊女を抱え江戸の一大享楽地として栄え、昭和まで続きました。その江戸最大の色街・吉原の一部を再現。上級遊女である花魁が従者を従え、八文字を踏んで練り歩く行列を花魁道中と言います。
大通りの裏側路地に軒を連ねて建っていた庶民の借家を長屋と言います。そこは1kのアパートのようなものでトイレや井戸は共有で大家が店子を管理していました。時代劇で庶民のおかみさん達が井戸端で洗い物などをしながらお喋りに興じています、それが井戸端会議です。
江戸時代の庶民の初等教育機関です。僧侶、浪人、隠居など様々な身分の師匠が、習字、算術、漢学の素読などを近所の子供たち教え、日本は当時、世界でも最高水準の識字率だったと言われています。
愛染明王が祀られている「愛染さん」は恋愛成就の神様として水商売の女性などの信仰を集めまています。映画村の愛染さんは狭い横町に二つの祠が向かい合って置かれています。それぞれ白い玉と黒い玉が祀られ、カップルで交互に玉を撫でれば恋愛が成就するかもしれません。
幕末の1862年、倒幕派の薩摩藩士が寺田屋に終結していたとこを公武合体派の薩摩藩士が鎮撫に訪れ乱闘となり死傷者が出る事件となりました。これを寺田屋騒動といいます。寺田屋は坂本龍馬の京都の定宿でした。1866年幕吏が龍馬を捕らえるべく寺田屋を急襲、龍馬の妻お龍は入浴中だったにもかかわらず、龍馬に知らせます。龍馬はピストルで立ち向かい九死に一生を得、脱出します。
テレビ時代劇の人気シリーズだった「銭形平次」の平次親分の家を再現しています。平次親分は町内の顔役として奉行所の役人から十手を預かり、町の治安に力を貸します。捕物の際、銭を悪人に投げ捕縛します。
東映太秦映画村の象徴とも言える東映城大手門。普段は団体入口として使用していますが、撮影時は立派なオープンセットになります。二条城大手門をモデルにしています。
オープンセットの写真は2011年1月現在のものですので、セットが変更される場合があります。詳細は事前にお問い合わせくださいませ。